趣味は、海外旅行、カメラ、ワイン、読書、映画鑑賞。
小学校の頃は、日焼けで真っ黒。
毎年の夏は、陸上クラブと水泳クラブで更に真っ黒。
小学3年生から“剣道”を始める。剣道は、高校3年までの10年間を続け3段を取得。
中学時代1年生の春の模擬テストで学年20位になり、「俺、結構いけるかも?」と勘違いしました。
あまりにも声が大きかったので、女の子たちには“隊長”というアダ名を付けられていたらしいです。ちなみにこれは後の同窓会で知ることに…
高校入試は奇跡的に第一志望に合格する。
高校時代も剣道。
あまりにも厳しい監督。今では考えられないようなスパルタ指導を受けていましたが、その経験が今の自分に活かされていると心底思います。
監督には本当感謝です。
高校1年の文化祭で先輩たちがバンドをやっているのを見て「これはモテる!」と思い、同級生とバンド結成。
そしてモテていたのはボーカルだけでした。ちなみにこのボーカルとは大学時代から社会人にかけて一緒にバンドをして吉本興業の育成オーディションに受かるまでになりました。
大学には、これまた奇跡的に第一志望に受かりました。
高校の担任には、「これがあるから、ここの大学は怖いねんなぁ、わはぁはは~」と言われ軽くショック。
「絶対すべると思ってたやろ!」と言いたかった…
ちなみに僕も受かるとは思っていませんでした。
大学時代はバイトとバンドとサークル活動。残念ながら、大学時代に熱心に遊んでいて社会に出てからつながっている人間はほとんどいません。
大学3回生の就職活動中には、バンドで生きることを決意していたため、就活は一切しませんでした。
卒業と同時にバンドメンバーのベースが引きぬかれてバンドがポシャって人生がポシャりかけました。
一年間某牛丼屋の深夜のバイトで頑張りながら月に14万円ぐらいを稼いでいました。
バイトの友達が「ウチのおとんがパソコンデキる子探してるからくる?」との一言で、まったく畑違いな設計事務所で働かせてもらうことに。よく覚えていませんが、給料は13万円ぐらいだったような気がします。
その後、職を転々。
水道屋の現場、現場監督、絵画のネットワークビジネス、リフォームの訪問販売、不動産の営業。
たいした学歴のない自分みたいな人間が稼ごうと思うと足を使った営業職しかないのか…と思いました。
水道屋はしんどかったですね。生まれて始めていじめにあいました。職場いじめですよ。働き始めた時は「大学でてこんなところに何しにきてんの?」みたいに言われました。
32歳の時に中学からの友人に誘ってもらって一緒に事業をすることに。
彼の誘いがなければ今の自分はないです。
現在は40歳手前で結婚、そしてひとりの娘と一緒です。
■ 住まい遍歴は
0~3歳 公営住宅
3~30歳前半 建売住宅(父親名義)
30歳前半から30歳中頃 注文住宅(父親名義)
30歳中頃から3年間 1K賃貸マンション
結婚後 建売住宅(元々の実家)